らんくるちちの闘病日記 
 ダラダラと書き込んで読み難いと思います、すみません。


最初に、私は看護婦さんの記述で、個人的な好みで女性の方は、看護婦さんと呼びたいので、
私は、男性の方だけを看護師と記述させてもらいました。
その件についてのクレーム等は一切無視いたします。


日頃の不摂生と本能の赴くまま食い捲くったツケが一気に来ました。(泣)
闘病記の内容は、1・腎臓悪性腫瘍  2・冠動脈バイパス手術  3・強制ダイエット
4・疑問及び薬と制約  5・障害者認定

の内容です。順を追って読んでいくと解り易いです。

このページを作った時の私の年は43歳です、少し遅れてきた厄年みたいな年でした。

そして私を助けてくださった。
済生会三条病院・泌尿器科の郷秀人先生。
長岡赤十字病院・心臓内科医の江部克也先生。
長岡赤十字病院・心臓血管外科医の小熊文昭先生。
お手伝いをしてくださった先生方(御名前を覚えず済みません)
優しく御世話をしてくださった看護婦の方々及び看護師の方々
ありがとうございました。


腎臓悪性腫瘍編
事の始まりは、一年に一回の人間ドック検診が始まりです。

2005年4月22日 岩室健康増進センター
 私は毎年、岩室健康増進センターの人間ドックで検診しています。
今回も、らんくるはは(奥さん)と連れ立って行って来ました。
その際、超音波エコー検査で、左の腎臓の下部に異質なものが有ると診断され、
要精密検査の必要あり、との事なので、済生会三条病院の泌尿器科に紹介状を書いてもらいました。
連休明けの5月6日に、紹介状を持って受診し、5月10日に精密検査の予約を入れました。

2005年5月10日 済生会三条病院にて精密検査
 ヘリカルCT撮影機にて、造影剤を右腕静脈から入れて胴体部の左右腎臓を撮影しました。
検査結果は、人間ドックで指摘された場所と同じ、左腎臓の下部に4センチ位の
腎臓腫瘍と診断されました。
気楽な気持ちで受診した為か、この世の終わりくらいに一気に落ち込みましたが、
持ち前の気楽さからか一晩で立ち直り、覚悟が決まりました
翌日、らんくるはは(奥さん)と、連れ立って済生会病院にいき、手術の日取りを決めてきました。
手術日は、2005年6月9日に決定です。
執刀医の郷先生によると、本当は、お腹の正中線(ヘソから上)を切るほうが腹筋を切断しなくて、
術後の回復が早く痛くないそうですが、
私の手術内容は、下横腹を切り開き、腹筋を切断して、左腎臓の部分切除法に決定しました。
この手術法はとても痛く、術後の回復もとても時間が掛かるそうです。
郷先生の話では、部分切除法が可能な場合は、腫瘍の発生位置の良さと、
腫瘍の大きさの限界サイズは、4センチ迄で、私の大きさもギリギリで、発生位置も良く
部分切除法が可能との事でしたので、今現在43歳の年齢を考えると、
全摘出して腎臓が一個だけになるリスクより、術後のガン再発の
可能性が有りますけれども、部分切除での手術をお願いしました。
手術的には全摘出の方が術後の回復の早さ、
残りの腎臓に再発性の低さと言うメリットがあるのですが、
私の親父も同じ左腎臓悪性腫瘍に患って、全摘出しています、最近残りの
腎臓機能が下がってきている事を聞かされているので、私も将来同じリスクを負いたくないので、
部分切除法を選択して先生にお願いしました。
腎臓腫瘍の90パーセントが悪性のガンで、発生率が10万人に5人と言われるそうです。
その5人の中に私と親父が入っていると言うことは、かなり遺伝的な要素が大きいですね。
ちょうど同じ頃、欽ちゃんバンドにいた、小西さん(愛称コニタン)も同じ左腎臓悪性腫瘍に
侵されていていましたが、無事に回復してくれて、自分の事のように喜びました。

 手術日まで結構日が有るので、予てより気になっていた、血便が出る事を、徹底的に
調べようと、我が家の近くで開業している、「どうや胃腸器科クリニックで、大腸カメラによる
大腸検査も受けてきました。検査日の早朝にムーベンと言う、下剤2リットルを2時間掛けて
飲み干し、同じ2時間くらいトイレの住人状態になり、カラッケツ状態で、検査を受けました。
検査内容は、無事合格で、血便の原因は痔だそうです。
検査とは言え、尻の穴を弄られる屈辱は、辛いです。
この手の検査は、1回受ければ5年位は受けなくても大丈夫だそうです。

2005年6月8日 済生会三条病院に入院
 会社の従業員や、叔父さん達にも、長期出張と言っておいた。
家族には、誰にもばらすなよ!と、緘口令をしき、こそこそと病院に入院。

2005年6月9日 腎臓部分切除手術日
 午後1時に手術室に運ばれる。 準備室にて、硬膜外麻酔の注射、これは手術後の開腹部の痛みを
和らげる麻酔で、背骨の腰椎に注射します。
本当はその筈だったのですが、私の体が大きすぎて(肥満)針が届かないという、アクシデント
が有り、急遽、右胸の所に3日掛けて注射しっぱなしという、皮下注射をされました。子ペットボトル位の
大きさでした。
そして全身麻酔・・・・・・・・・・・(寝)
病室に戻って来たのが、5時位だったそうです。
左脇腹の下部分に29針、長さが約25センチの傷口でした。腎臓部分切除手術は、大量の出血が出る可能性が
有るため、両手が入るくらいに切り開かないと駄目だそうです。
総出血量は900CCでした。5月27日と6月3日に400CCづつ計800CCを、貯血しておいたので、
無くなったのは100CC程で、他人の輸血はしないで自己血液のみで手術は終わりました。
尿漏れが無ければ術後2週間で退院です。 ところが・・・・・

2005年6月10日 手術翌日
  急転直下!

2番の項目を読んでからお戻り下さい。

2005年8月17日 済生会三条病院の外来通院に行く
 長岡赤十字病院から退院後、やっと済生会三条病院に腎臓悪性腫瘍手術後の結果を、聞きに
行ってきました。郷先生から結果を告げられました。切り取った腫瘍は、想像通り悪性腫瘍でした。
しかし、その他外部には、浸潤や転移は全く見られないとの事でした。
腎臓悪性腫瘍などの特殊な病気は、10年経っても、再発の可能性が強いから頻繁に通院して、
定期検査を受ける必要が有るそうです。


冠動脈バイパス手術編
2005年6月10日 手術翌日
 この日の血液検査で、心筋梗塞を起こすと出る、酵素が血液中から検出され、
ました。この酵素は、筋肉組織を切断したときにも出る酵素で、担当医の先生は
手術で腹筋の切断をしたからだろうと診断したのですが、
検査医師がどうしても気になると言うことで、
急遽、心臓部分に超音波エコーで調べて、心臓内科の先生が診断。
そして、気になる動きがあるのでは?と判定されて、長岡の赤十字病院に転院と言うことになりました。
私自身は、是といって胸が苦しいとかの症状は全く無く、ただ手術した傷口が、
痛いだけでした。
私が入院した済生会病院には、心臓等の血管を見るカテーテル検査器が無く、
長岡には、心臓病の治療で有名な病院が、2軒有り私は、その内の1軒 
長岡赤十字病院に転院しました。
三条から長岡まで、高速道路を使い約40分間くらいかけて、
救急車に揺らされて搬送されました。(揺れて痛かったです)
病院に到着して、直ぐにカテーテル検査。 右手首の動脈からカテーテルを入れて、
心臓血管内を撮影して調べられました。 そして第1回検査結果、
極重度の狭心症と言う検査結果でした。担当医の江部先生は、
取りあえず心臓の動きは元気があって問題無いから腎臓の手術経過を見守って
様子を見ようと言う事になり、そのままICUに入れられました。
そして3日後には、一般病室に入り、継続して経過観察になりました。
経過観察の間に、腎臓手術跡の抜糸も終わり、造影剤を使ったCT撮影も問題無く終了して
それからは、心臓の検査が始まりました。
24時間心電図測定に始まり、心筋シンチグラム検査これは、放射性同位元素物質を
静脈に注射して心臓の筋肉の動きを測定する検査だそうです。

2005年6月30日 2回目のカテーテル検査
 今回は、左手首の動脈と足の左太腿の付け根に有る静脈
からでした。検査時間は約40分位でした。二箇所の血管を使い、前回の検査より、より正確に
血管内の検査をしました。 
第2回検査結果、 1回目と同じく極重度の狭心症でした。
後の心臓手術執刀医の小熊先生の話では、ここまで酷いのに、これを狭心症と診断して良いのかな?
などと言われました。、
 心臓には3本の冠動脈が心臓を取り囲むように張り付いていて、心臓の筋肉を動かしています。
私の場合3本とも詰まっていました。2本は100パーセント塞がり、残り1本は90パーセント
詰まっていました。 先生の話では、通常これだけの閉塞率だと確実に心筋梗塞を起こしているし
普通は、既に死んでいても可笑しくないぐらいの酷さだそうです。
私の心臓は奇跡的に、残り10/300パーセントの血液が、
閉塞している血管の先のほうに細い血管で繋がっていて心臓の筋肉を元気に動かしていて
筋肉の壊死を防いでいたそうです。とんでもないくらいの、悪運に恵まれていたみたいです。
よく、腎臓ガンの手術中に発作を起こさなかったことも奇跡見たいな物だそうです。
もし人間ドックで腎臓ガンが見つかっていなかったら、たぶん今年の夏もしくは冬、心筋梗塞を
起こして、乗り越えられなかったかもしれません。

 後で聞いた外科医の小熊先生の話では、心筋梗塞の定義は、
血管が塞がりその先の心臓の筋肉が壊死している状態を、心筋梗塞と言うそうです。
私の場合は塞がっていても、筋肉が壊死を起こしていないので
狭心症だそうです。普通これくらい詰まりまくっていれば、四六時中、胸痛に苦しんでいるはずなのに
平気に仕事をしていたと言う事は、症例として一番危ない、無痛性狭心症になるそうです。

 そして、6月30日の検査結果で、私の治療法は、心臓バイパス手術に決定しました。
心筋梗塞の治療は、おおよそ3種類あり、
1つは化学薬品治療 これは軽度な心筋梗塞に有効な治療だそうです。
しかし聞いた話だと、化学治療は、誤魔化しの治療で、数年もしないうちに、さらに悪化させて病院に
運ばれる患者が殆どだそうです。
2つ目は、カテーテル・バルーン治療で、これは閉塞して狭くなっている血管内に、カテーテルを差込、
風船を膨らませて血管内を広げる治療です。最近は、この治療が主流みたいです。
3つ目は、バイパス手術で、1・2では無理な場合の最後の手段だそうです。
この手術は、胸の正中線を切り開き、心臓の詰まっている血管の先に別の部分から血管を移植して
繋ぎ合わせて血流を復活させる手術です。昔の手術は、繋ぎ直す血管を、足から静脈血管を取ってきて、
繋ぎ直していたそうですが、この方法だと、50パーセントの患者は10年以内に血管内が閉塞して
運ばれてくるそうです。
今は、胃の部分に有る動脈と、腹胸部に有る動脈を使うそうです。
腹胸部に有る動脈血管の方が、長持ちするそうです。

2005年7月6日 心臓血管外科にて
 心臓血管外科の小熊先生に受診して、手術日を決定!
7月19日に冠動脈バイパス手術を受けることになりました。
手術日までに、またたくさんの検査を受けました。

2005年7月18日 困った話
 この日、看護婦さんから困ったことを相談された。
先日、私の栄養摂取における、考え方の違いが有り、カテーテル治療の第一人者の内科担当医の
江部先生と、冠状動脈バイパス手術及び弁膜症手術の第一人者の外科担当医の小熊先生とが
意見を交わしていたそうです。
入院当初から、私の一日の摂取カロリーは、なんと1000キロカロリーに設定されて、私を極端な
ダイエットをさせたのが江部先生で、そして外科手術の間までの40日間で20キロ強の減量を
させられました。 その極端なダイエットで衰弱した体を最悪10時間くらい掛かる手術には、
耐えられないのでは?などと言う話をその場に居合わせた看護婦さんが聞き
それでその看護婦さんが私に逆に問い掛けてきて、大丈夫ですよね?
と、言われましたが、明日が手術なのに今更そんなことを聞かされても、どうしようもないですよね
ちなみに、手術が無事終了してからの摂取カロリーがいきなり、1600キロカロリーに
増やされていましたが今までの量に比べると余りにも多く、食べきれない状態が次き、
仕方なく私の方から、1400キロカロリーに量を落としてくださいと、頼み込みました。
私の事を少しでも知っている人は大変な驚きですよ、私が食い物の量を減らしてくれなどと
いうことは、しかし、40日間の1000キロカロリーダイエットで私の胃の大きさは、完全に
縮小してしまいました。 退院後のリバンドが、怖い・・・・・・・

2005年7月19日 手術当日
 目が覚めたときから緊張していました、しかも1ヶ月ちょっとの間に、2度も
体を切り裂かれる事に為るとは・・・ 物凄いストレスです。
午前8時45分に看護婦さんが、ストレッチャーで迎えに来られました。
手術準備室で腕に点滴を入れられた時からの記憶が飛びました。
しかし、記憶なのか夢なのか、よくわかりませんが、肋骨を開腹するために、鋸で切り裂き、肋骨を
器具を使い広げているときの(約10センチ位だそうです)物凄い痛みを受けたような感覚があります。

 無事に手術は終了しました。しかし手術は予定したよりかなり難航したそうで。
私の体が全てにおいて大きすぎて手を入れる深さが深すぎて物凄く手術し難かったそうです。
そして利用しようと思っていた血管が思ったより短く、急遽足りない血管を左足つけね部分から
約10センチ程取り出し、繋ぎ合わせてからバイパスしたそうです。
その為、当初予定手術時間は5時間でしたが、結果9時間掛かったそうです。
今回の手術を執刀してくださった小熊先生のキャリアは、バイパス手術の執刀件数だけで、
1250件を超えているそうです。年齢は聞いておりませんが、
見た目50歳前半のまだまだ現役バリバリの先生で、これからもドンドンキャリアを伸ばしていく方でしょう。
間違い無く、日本の5本指に入る名医と呼ばれる先生です。

2005年7月22日 一般病棟へ
 ICUから一般病棟に移りました。ICUは辛いですよ、患者は徹底看護されて
安心なんですが、20分〜30分間隔くらいで定期的に診に来るので、眠れない事が
結構あり、家族も簡単に付き添いや御見舞いもできない場所なため、結構心細くなるんですよ。
もっとも、看護婦さんはその分とても優しい方ばかりでした。

2005年7月26日 抜糸日
 抜糸の日ですが、ここの病院の手術は、基本的に、解けて消える糸を使うそうで、
この日の回診で、私の手術個所に張ってあった超特大のバンドエイドを剥がし(泣)
ドレーンパイプを体から抜き取って、縫い傷個所を消毒して、縫い傷個所に幅5ミリくらいの
医療用テープを、まるでファスナーみたいにビッシリ貼り、自然に取れるか、ボロボロに
為ったら取って良いよ、と言われ、それで外科部分の基本の治療は終了だそうです。
私はこの日、初めて傷口の大きさを見て驚きました、最初想像していたくらいの傷口を
遥かに超えていました。縫い目は細かく数えられませんが、全長が30センチを軽く超えていました。
そして更に気がつくと、太腿付け根部分にも10センチ強の縫い傷、こちらの縫い傷は、
凄い下手糞でしたよ。きっと見習い医師に縫合させたなと思いました。最初の部分が下手糞で
終わり部分で、やっとまともな縫合傷でした。

2005年7月28日 移動の自由
 すでに体は自由に動かしても良く、担当医から階段の昇り降りもしても言いと
言われたので、この日から最低朝夕2回、私のいる6階までの階段昇降をノルマとして
決めました、初日の一度目は降りる事は問題無し、登りは3階で、ギブアップ。
二度目は、4階半でギブアップして3階まで降りてエレベーターを使用。
(4階は関係者以外の立ち入り禁止)

2005年7月29日 右胸乳房痛
 6階までの昇り降りに成功、しかしこの頃から、肋骨のある右胸乳房部分が痛み始め
階段を降りる際や、早く歩く際は、右胸を押さえて揺れないようにして歩かないと痛すぎるので
担当医に聞いたところ痛いのは、当たり前で肋骨を全骨折したようなものだし、しかも
手術で必要な血管も胸の中の血管を剥ぎ取っているのだから必要以上の振動を与えると
痛くなるよ、そして貴方みたいに脂肪があって、乳房がある人は必要以上に痛いのかもしれない
よ!、と言われました。(お〜い私は男だぞ〜)
内科医の先生からも話も聞き、手術後の胸痛は、治りが異常に早い人で1年位かかるそうだし、
当たり前で2・3年位かかるそうです。8年以上たっても痛みが消えない方も結構いるそうです。
本来なら胸部を保護して押さえるサポーターは、有るのですが、
(無保険対象になって高価な物になるそうです。肺を手術した方や、事故などで胸部を骨折した
患者は保険対象だそうです。それでもかなり高価だそうです)
しかし悲しいことに、私くらいのBIGサイズは、全く無いそうです。(泣)
看護婦さんの話では、女性患者は体型補正用のボディースーツ等を
利用していた方が、結構多いそうです。過去に一人だけ男の方も仕事をしなければならないので
プライドを捨てて利用していた方がいたそうです。
私は、取りあえず、さらしを利用して色々な巻き方を研究してみました。緩く巻いても駄目で、キツク巻くと、
苦しくなりすぎて呼吸ができなくなり、駄目でした。さらしには伸びちじみが無いので、調節が
とても難しいです。私もプライドを捨てようかな〜(悩み)
就寝時間が過ぎても胸部乳房の痛みで不眠の日々が結構あり、辛いです。
看護婦さんに痛くて眠れないと言えば、痛み止めの座薬を持ってきてくれて
入れてくれるのですが、ここの看護婦さんは、若くて可愛い看護婦さんが、多すぎです。なんでこの階
には、看護師が一人もいないんだ〜
そんな看護婦さんに、私の尻を突き出して入れてもらうなんて、私にはそんな羞恥プレイはできません!
絶対絶対!に出来ないです、恥ずかしすぎます。そんな真似するくらいなら、女性下着のボディスーツを
着ているほうがましです、でもそのボディスーツも私のサイズに合う物があるとは思えませんね!
取りあえず、奥さんに探してみてもらおうかな。

ちなみに、私は痛み止めの薬でロキソニン錠剤は、異常に効きすぎて、工作機械を高回転で使用中に
いきなり、立ったまま眠ってしまい大怪我しそうになったことがあり、私にとっては、とても怖い薬ですので、
先生が座薬が嫌ならロキソニン錠を出そうか?と、申し入れてくれたのですが、丁重にお断りしました。
先生も、ロキソニンは劇薬だから術後の体には極力使わないように、しているそうです。
長期使用は、肝臓・腎臓にかなり深刻なダメージを与えるそうです。
私は、腎臓の手術もしている身なので、ロキソニン以外の痛み止めも避けた方が賢明かもしれません。

2005年8月1日 悪夢
 今までに、見た事が無い程の、悪夢を見ました。機械の調子が悪く、仕方なく力技で、
私の胸骨をメリメリバリバリと広げていく夢でした。私は抵抗することも出来ず、激痛に襲われると言う
夢でした。飛び起きるように目が覚めたときは体中から脂汗が流れていてパンツも交換しないと
気持ち悪いくらいでした(寝小便ではないよ!)
あまりにも気が滅入ってしまい、気分を変えるために看護婦さんに事情を話して、アイスノン枕を
出してもらい眠り直しました。
次ぎの日の朝、看護婦さんがその事を担当医に伝えたところ、実際胸骨を広げる機械の具合が、
あまり良くなかったらしく、結果的に力技も使ったらしいです、その事実が私の深層心理に入り込み、
悪夢を見せたのかもしれません。これからもこの悪夢を見るかもしれないと思うと
気が滅入ります。

2005年8月2日 心臓内科に転科
 心臓外科から心臓内科に転科しました。担当医も小熊先生から江部先生に代わりました。
江部先生が仕切るこの内科で各種色々な検査を受けて、最終的に、
カテーテル検査を受けて、問題無しと診断されれば退院です。

長岡大花火inフェニックス
 今日は、長岡大花火初日です(毎年8月2・3日)、午後7時30分から、打ち上げが始まりました。
私の病室の窓から斜めに見れて、障害物も無く、エアコンの効いた個室での花火鑑賞です。
約10年ぶりに長岡大花火を鑑賞しました。長岡の花火は全国的に有名で正3尺玉の打ち上げが見事です。
しかも今年は、中越大震災の震災復興記念花火大会となり、今までと一味違う花火大会だそうです。
花火大会も順調に進み、終わりかな?と、思ったところに、この病院の目の前の畑からイキナリ
特大スターマイン花火が6列に並んでの重連発打ち上げが始まり、
目の前で打ち上がっている、大迫力で荘厳華麗な特大花火には、唖然とするほど感激しました。
あとで、テレビで放送されていましたが、この最後の花火が、
震災復興の祈願を込めた、その名もフェニックスだそうです。
この花火を手術前に見た患者さんや精神的に落ち込んでいる人が見ていたら、
きっと、励まされたに違いないです。
嬉しいことに、明日の3日も花火大会なのでまた花火鑑賞です。(嬉)

2005年8月4日 左胸乳房痛
 相変わらず右胸乳房が痛いままですが、左も痛くなってきました。
先生に相談したところ、左右の胸から血管を剥ぎ取っているから、両方痛くなるのは、
当たり前、人によって、ある程度の痛みの差はあるけれど、若い人ほど神経も若いから
痛みも過敏で、強いと思うよ、2・3年は覚悟してね。と、言われました。
嫌だな〜、凹むぞ〜。

2005年8月11日 3回目のカテーテル検査
 8月2日に内科に転科してから、心臓エコー検査、24時間心電図計測検査
トレッドミル心臓負荷心電図検査、負荷心筋シンチグラム検査など
前にも何回かやっている検査を繰り返して、
遂に3回目のカテーテル検査です。この検査は危険なため、承諾書にサインを
してから挑みます。今回も、らんくるははに付き添ってもらいました。
検査後、約1時間は絶対安静を守り、造影剤を流し去るために点滴と800ミリリットルの水分を
摂取しなければなりません、安静時間中は小便の我慢も大変です。

2005年8月12日 検査結果
 江部先生より検査結果が伝えられました。 結果はギリギリ合格です。
退院許可がでました。ヤッター(喜)

  祝!  退院
 長い入院生活でした、6月8日に入院 辛かった。胸部は相変わらず、痛いままです。
でも本当に大変なのは、退院してからで、不摂生を重ねれば、直ぐにまた血管が閉塞しやすく
そして腎臓悪性腫瘍も再発の可能性が十分あるので、まじめに定期通院し、自己管理も
徹底して行わなければなりません。


 私は子供に恵まれませんでしたので、らんくるははの居場所を確保するまでは、絶対に死ねません!


・強制ダイエット編
ここまで書くと、解る方もいると思いますが、
私が、まず済生会病院に入院した、6月8日に計測した体重は、驚くこと無かれ、141.8キロ有りました。
無事に手術も終わり、と、思いきや、長岡赤十字病院に転院して、6月15日やっと動けるようになったときに
計測した体重は、134.5キロでした、約7キロ減
そして病院食が始まりました。しかし担当の内科医先生の粋な計らいで、
私が許された1日の摂取カロリーは1000キロカロリーでした。
この摂取カロリーは、とても辛かったです(涙)、おおよその一食の量は、幼稚園児の子供が
食べる量くらいです。しかも摂取塩分は7グラムと設定され、どれを食べても味が薄くまずかったです。

食べられるように為ってから約3週間くらいは、テレビを見て美食番組などが放送されていると、
猛烈に怒りが沸いていました。テレビ番組は食べるシーンが多すぎ、今までは気にもしていなかった。
ケンタッキーフライドチキンのCMを見ては食いて〜、マクドナルドのCM見ては、涎を垂らしていましたよ!
4週間目に入ってから位にやっと、体も慣れて精神的にも落ち着いてきました。
その頃の7月1日で、計測した体重は、126.4キロで、15.4キロ減でした。
そして、バイパス手術前日の体重は、120.1キロで、21,7キロ減
動けるようになってからの体重は、118.75キロで、23,05キロ減で、
この頃から一日の摂取カロリーが1400キロカロリーに増えました。
最後に、退院日の8月12日の体重は、115.00キロで、ほぼ2ヶ月間で 約27キロ減でした。
退院後は、健康管理をかなり厳しくしないと、また入院ということになるので、
私の身長から言えば、理想体重は72キロだそうで、
1日の摂取カロリーを、1600キロカロリーとして、頑張っていきたいと思います。
頑張れるかな〜?、チョット自信ないな〜、らんくるはは頼んだぞ〜


疑問及び薬と制約
私が疑問に思い、先生に聞いた事を、簡単にまとめた項目です。

Q1 胸部の肋骨を切り開いた後、術後、針金を使い、肋骨を整骨する手術法だったそうですが、
その針金は体内に残ったままですが、この先何かの検査で、MRIと呼ばれる磁気探査撮影機などに、
かかる事は避けた方が良いのでしょうか?

答1 写りが悪いだけで、問題無し

Q2 私は退院後、どのようなスケジュールで検査を受ければ良いのですか?

答2 約一年毎に、カテーテル検査を受けてもらい、血管内の閉塞状況を調べて、必要ならば、バルーン治療
を、施すかもしれません。
答2−1 薬などの投薬量を血液検査などで、変更しなければならないので、通院はしてもらいます。

Q3 各種色々な薬を、私は処方されていますが、私の地元の病院で、処方箋を見せて
 そこから薬を貰ってもいいのですか?投薬量の変更もお願いしても良いのですか?

答3 この病院から紹介できる医療機関及び病院であること、
 そしてこの薬に対する知識に問題が無ければ良いです。

Q4 その際、薬価代を安くする、ジェネリック医薬品を使用しても大丈夫ですか?

答4

Q5 退院後、温泉等に、湯治に行っても問題はありませんか?

答5 大丈夫、ただし長湯や熱い湯は避けて方が、無難でしょう。


障害者認定
この項目は退院後市役所などに相談に行って解ったことを、記述します。


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